●ヤシの並木をゆく
雨季だというのに、なんて日差しが強いのだろう。どんよりとした曇り空とシトシトと降る雨を覚悟していた僕らだが、走り出してからの二日間、雨の気配などまったく感じさせない好天に恵まれ、スイスイと軽快にペダルをまわす。
気温は36℃、南国ムードたっぷりのヤシの並木の中、高校時代からの友人のヒデと、「俺らの日頃の行いが良いからだよなー!」などと冗談を飛ばし合いながら、先頭交代をくり返す。
絶え間無い向い風の中、互いのスリップストーリームに入り、ひと息つくのを繰り返しながら、少しづつ距離を伸ばす。
バンコクから縦に細長いマレー半島の東海岸を南下する国道4号線は、バンコクの南約450km地点のチュンポンで国道41号線に取ってかわり、さらに南下を続ける。
マウンテンバイクに履かせた幅1.25インチの細身のタイヤでも路面から伝わってくる振動は気にならないほど凸凹が少なく快適だ。交通量は多く、トラックやバス・乗用車が日本の高速道路並みのスピードで飛ばしているが、方道三車線で、中央分離帯があり、左端の一車線分が二輪車と自転車に割り当てられているので、比較的安全だ。
だがそこは乗り物の快適さとは反対に、まわりに住む動物達にとっては危険なところであるようだ。というのも、いろんな動物の死骸がそこら中に転がっており、ヘビ、犬、正体不明の動物など...さながら死体の動物園のようでもある。さっき轢かれたものから、ミイラようになっているものまで様々で、いいかげん見るのも嫌になり、目の片隅で確認するだに留めるようになった。
後は、自分たちもそんな姿にならないようにと、走りながら祈るばかりである。
そんなことを考えているうちにも、ヒデが体調1mはあろうヘビを”グニュル”という音をたてて轢いてしまった。いや、実際に音がしたわけではないが、そんな音が聞こえたような気がしたのだ。話をしながら平行して走っていた僕も、ヘビが轢かれるところだけを見てしまった。二人とも同時に”ウギャー!”と悲鳴を上げた。悲鳴は5秒ほど続いた。ヒデは、ハンドルを握る手にその音を感じたようで、しばらく余韻に浸っているようだった。
●雪印にもの申す!
出発前に僕らは最終目的地を、ビーチ・リゾートとして世界的に有名なプーケットに決めていた。だが、どこから走り始めるかは、バンコクで初めてヒデと顔をあわせるまで決まらず、棚上げ状態だった。
現地の気候や列車の時刻がはっきり分からなかったせいで、もう一つ、1年以上ツーリングをしていない自分の体力不足も不安要素の一つであった。
そのそも今回の旅は、出発の丁度一週間前の大阪に住む高校時代からの友人ヒデからの電話で急遽決まった。それからというもの、チケットの手配に自転車の修理、モバイル装備の点検等々俄然忙しくなった。
日程やバンコクで落ち合う場所は、忙しい合間を縫ってE-Mailで連絡をとり合い、決めていった。
もう一人高校時代の友人ケイジが参加する予定であったが、不運にも雪印の牛乳に当たり、7月11日にバンコクに来ることは不可能になってしまったのだ。その後雪印の社員が自宅を訪れ、掛かった医療費全額を置いていったらしいが、失った機会は戻ってこないのだ。どうしてくれるんだ雪印!その後の日本での報道には目を通す機会が無いが、どの会社もこれを機会に品質管理をしっかり見直して欲しいものである。
ところでヒデは関西空港発着のタイ航空利用バンコク往復チケットをナント、○TBで4万6千円という超格安で手に入れたが、成田発着では同様のチケットは見当たらなかった。タイ航空だと、インターネットでざっと調べたところ6万8千円あたりが平均的なラインだった。エアーインディアで、4万円を下回るチケットもあるにはあったが、週2・3便なので予定が合わない。ノースウエストやユナイテッド・エアーラインは毎日飛んでおり、共に5万円を少し下回る価格であったが、空席が7月11日前後にはまったく見当たらなかった。
ベストなチケットを求めてネットサーフィンを続けていると、これだ!というものが目にとまった。「ヨーロッパ各都市行き バンコク経由 タイ航空利用 \99.800」というものだった。(実際は、電話対応が比較的良かった別の会社で\101,800で契約した。)
バンコクでのストップオーバー(滞在)は追加料金なしで可能な上、成田発の日程以外は後から変更可能という3ヶ月の"FIX-OPEN?"チケットだという。
バンコクのカオサン・ロードで安いチケットをゲットして旅を続ける選択支も残されていたが、ヨーロッパ方面に行くなら渡りに船のラッキーなチケットだ。しかも、バンコクで改めてヨーロッパ往復のチケットを買うよりも断然安いだろう。
●長距離列車で車掌と口論に
バンコクのホアランポン駅(日本で言えば、位置付けとしては東京駅駅か上野駅のようなところだが、規模は小さく地方都市の終着駅並み)を出発して2・3時間たったころ、車掌が入り口の荷物は誰のものかと、乗客に聞いてまわっている。
僕らのだと伝えると、
「ここに置いておくのはまずいんだけど・・・」
「じゃ、どこに置いたらいいの?」
という僕らの質問に車掌も困ったらしく、考え込んでいる。
僕らは列車に乗り込む前に、貨物車は無いかどうか駅員に尋ねたら無いといわれ、どこに置くと良いのか尋ねたら、今のところに置くように言われたのだ。
1台ずつ分けて置けば、入り口が二つふさがることになるので、2台を並べて置き、使えなくなった扉は普段は空いたままなのであるが(もちろん走行中も)、常に閉めておくことにした。こうすれば左右にある片方のドアはふさがってしまうが、連結機を挟んだ隣の車両の扉が使えるので、それ程不自由が無いだろうと考えたのだ。
僕らの席は3等車両の一番端で、最初は乳幼児を抱えたおばさんがボックス席の向い側にどかっと座っていたが、僕らが切符に書かれた指定の席に腰を落ち着けると、斜向いのボックス席に移っていった。
しばらくして何とその幼児は、ボックス席の対面座席との狭間に小便小僧よろしくジャージャーと小便を滴れ始めた。おばさんは慌てること無く、あたりまえのような顔をして平然としている。真向いに座っているタイ人の青年は、驚きが顔に出つつも嫌な顔をしないように努めているように見える。
幼児が滴れた小便は、おばさんの足元から自らの座席の下に向かって流れ始めた。実はこのおばさん、トイレを背にして座っているのになぜトイレに行かないのか、僕らは不思議でしょうがなかった。
この時ばかりは、2等車両に空席が無かったことを恨めしく思った。
数時間後、車掌数人が徒党を組んで検札にやってきた。僕らの番がきて、チュンポンまでの切符をチェックした後、30代くらいの比較的若い車掌の一人が荷物の追加料金を支払ってくれ、と英語で言ってきた。
「バンコクの駅で尋ねたら、追加料金は要らないって言ってたぞ!」
と僕が言うと、彼はにが笑いをしながら言う。
「いや、要るんだよ。」
二・三度同じような会話をくり返した後、僕は車掌に尋ねてみた。
「それじゃ、いくら要るんだ?」
車掌は、少し天井に目をやりながら考え、言った。
「えーーっと、1台50バーツだ。」
「それなら、ちゃんとした書類を見せてくれ。」
「わかった、ちょっと待ってくれ。」
僕は、車掌が何か適当な値段を言って徴収し、その金がそいつの小遣いになることを想像すると、どうしても支払いたくなくなってきた。
その車掌は無線で何か話していたが、しばらくすると、カーボンコピーの付いた書類を持って別の車掌が現れた。
相棒のヒデはと言えば、
「それぐらい払ったらええやん…、実際に扉一つふさぎでいるんやし…」と関西弁でそう僕に言ってるが、確かに僕もそう思ってはいた。
それでも世界数ヶ国でだまされボられた経験のある僕としては、悲しいかな列車の車掌といえど、交渉に気が抜けない相手なのだ。彼らは気分次第で外国人をみたら追加料金を巻きあげ、懐に入れるのが得意だ。インドではバスで高額の手荷物料金を巻き上げられたし、モロッコの悪いやつもそれぐらいやりかねない。
だから、きっとタイ人もそうにちがいないのだ。などと、あまり根拠のない妄想に駆られてピリピリしている僕をたしなめようとするヒデを後目に、僕は車掌に向かって
「われー、なにゆーてんねん!ふざけんなー!」
と関西弁で大声をはり上げていた。
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